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どうやら報道管制がブログの世界にも敷かれているようだ [公共]

 小生のメインブログ「薬屋のおやじのボヤキ 」は1年ほど前までは毎日2000人近いアクセスがあった。
 そのブログの趣旨は、「公的健康情報には嘘が多くて、それがためにストレスを抱え、ボヤキながら真の健康情報をつかみ取り、発信しています。」というもので、高血圧、コレステロール値、胃薬、ヨーグルトなどの情報の間違いをズバズバと指摘しており、特に例示したものに関する記事のアクセス数が常時断然に多い。
 その後、ここ1、2年、目新しい記事を投稿していないので漸減したものの、12月に入った時点では毎日コンスタントに1000人強のアクセスがあった。
 ところが、12月9日に初めて1000人の大台を割り込んで948人となり、翌日はもっと減って735人となった。そして、その後は700人前後で推移している。
 急減したのは、“カウンターが故障してんじゃねえの?”と、最初疑ったのであるが、そうではなさそうだ。陰謀説が浮かび上がったのである。それを知ったのは今日のこと。
 自ら「キチガイ医」と自称しておられる内海聡氏で、そのブログに次の件があります。

 「…特に医療系の記事を発信している人はフォロワーが減っているのですが、…実はこれは世界戦略であり、グーグルの検索戦略につながっています。その裏にはあるシナリオが見えてきます。この現象の中で唯一といってもいいくらい激増を繰り返しているのが、やはり安倍晋三と安倍昭恵。…増えているヘビーユーザーはみな要注意人物か、体制真っ只中の人だと考えたほうがいいでしょう。」

 なんだか眉唾物ですが、内海聡氏のブログと同様に小生のブログも当局からにらまれるようになったのであれば、これまた光栄なことです。
(参考)内海聡氏の「うつみん(内海聡)のブログ」最新記事
    FBの動きとフォロワー数減少について

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腹がたつなあ、最近の天気 [天気]

 お天道様に文句を言ったって始まらないが、“腹がたつなあ、最近の天気”である。
 小生が集中して畑仕事ができるのは、当店定休日の日月である。この前の日月も、その前の日月も雨にたたれたし、今度の日月も雨模様だ。こんな時期に2週連続して台風が来るとは恐れ入る。
 店は暇だから、営業日に百姓仕事をすればいいのだが、ここのところ雨がけっこう降り、土が湿りすぎているから、ネギの土寄せがしづらいし、土壌改良のための刻み藁のすき込みもかなりの力がいる。これらは直ぐにでもせねばならない仕事だ。
 加えて、11月7日過ぎにはエンドウの種蒔きとたまねぎ苗の植え付けをせねばならないが、畝整形がまだできていない。11月5、6日の日月は出かけるから百姓仕事はできないし、月初めはセールでお客さんが多いから店にべったり張り付かねばならぬ。
 早朝に畑に行くしかなくなる。これからの時期、寒いぞ! まいった~。 なんともならんわ。
 明後日の土曜日に、店は女房に任せて、やれるだけやるしかないが、どこまでできるか。
 まーず、腹がたつなあ、最近の天気。
 ええかげんにせえ、お天道!
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気象庁は梅雨入り梅雨明けをなぜ訂正しないの? [天気]

 東海地方の今年の梅雨入りは6月7日であった。翌8日は曇がちで、なるほど梅雨入りしたかと思わせられたのだが、9日以降はほとんどの日が晴天であり、とても梅雨入りしたとは感じなかった。やっと21日に大雨があり、その後は曇の日が大半で雨の日もどれだけかあり、これで梅雨になったという感がした。
 「今年の梅雨入り6月7日は間違いであり、正しくは6月21日である」と訂正していただきたいものだ。しかし、それは全然なされていない。その昔は、今のように「梅雨入りしたと思われます」なんていいかげんな表現ではなく、「梅雨入り宣言」と格好良くなされたものだ。よって、訂正ということもまれにではあったが行われた。気象庁が頭を下げて“申し訳ありませんでした”と言うのもなかなかいいもんではないか。こうした非を認めても誰もああじゃこうじゃ言うものではない。相手はお天道様だからそういうこともままある。“気象庁よ、よくぞ頭を下げた。感心感心。ご苦労”と、かえって労わりの言葉が投げかけられようというもの。
 さて、今度は今年の梅雨明けだ。例によって気象庁は、東海地方の今年の梅雨明けは「7月19日に梅雨明けしたと思われます」ときた。ところが、その後はパッとしない日ばかりで雨の日も多い。まだまだ梅雨といった状態が延々と続いた。やっと7月31日になって、予報が完全に外れてけっこうな好天となった。翌8月1日は完全な晴、予報ではずっと晴が続く。ということは、7月31日が梅雨明け宣言となる。
 2、3日経ってからでもいいが、梅雨明けの訂正をしていただきたいものだ。そのあと、6日7日は雨模様となるが、これは台風の影響であり、梅雨明けしたから台風も来るということで何ら問題はないのである。
 去年も今年とよく似た状態であった。こんなことが続くようであれば、気象庁は「梅雨明け」「梅雨入り」なんて一切言わないで、夏が終わる頃に「梅雨明け日」「梅雨入り日」まれには「梅雨なし」の記録だけ残して、それを元にして「梅雨入り平年日」「梅雨明け平年日」を定めていただいたほうがいい。そのほうが「梅雨明け日」「梅雨入り日」の心づもりができて、農作業の予定も立てやすくなろうというものだ。
 気象庁よ、百姓の身にもなってくれ!と叫びたい。
 そう言やあ、俺は薬屋でもあった。梅雨明け、梅雨入りが大幅に動くと薬の売れ方にも影響する。仕入れを考えねばならぬ。まあ、うちは大して売れないからいいが、量販店のドラッグストアはきっと困っていると思うよ。

東京オリンピックがやってくると愛煙家はペシャンコにされてしまう [公共]

 団塊世代68歳の小生、喫煙歴はちょうど50年となった。
 高校生のとき、親父のタバコをくすねて吸ってみたが、むせ返って喉がヒリヒリ。こんなもの吸えるか、であり、そのときはタバコなんて吸おうとは思わなかった。しかし、大学に入り、完成が遅れていた大学寮に5月から入居し、皆が順々にタバコを吸うようになって、小生も“大人の仲間入りをしなきゃ”とタバコを吸い始める。最初はハイライトだった。かなり強いタバコで、今でも売られているが、慣れないうちは煙を肺まで入れず、口の中でプカプカやっていただけだった。でも、すぐに慣れ、普通に吸えるようになった。
 今では、こんな強いタバコを吸おうものなら喉がヒリヒリし、もう受け付けない。今はタール6mg程度のものが小生の喉にやさしい。

 ヘビースモーカーの小生。デスクワークをしていたサラリーマン時代、1日4箱はハイライトを吸っていた。薬屋稼業になってからも1日2箱半は必要としていたが、最近はストレスがあまり掛からなくなり、また閉店後は居室での喫煙を止めたから、1日1箱半といったところまで本数が減った。
 この50年間、1日平均3箱を吸ったとして、今現在の価格で計算すると、何と総額2千万円、うち税金1千万円! よくぞこれだけ高額の税金を納めたものだと我ながら感心させられる。これからも、飽きることなく毎日コツコツと納税し、これは死ぬまで続けることになるに違いない。

 今日情勢は、喫煙者が一人減り、また一人減りと、愛煙家にとっては何とも寂しいかぎりである。あれこれ会合があっても、10人程度の集まりであると、小生の他は喫煙者が1人いるかいないかといった状態だ。こうしたことから、実に肩身の狭い思いをさせられる。たばこは健康に悪い、副流煙でがんになる、近くで吸われると煙たい、などと攻撃されて、散々な目に遭うから、恐れ入る。
 この世の中、何もかもクリーンになり過ぎて、煙が目の仇にされ、ダイオキシン問題で野焼きが大幅に制限されてしまい、今度は副流煙だ。これらは多少の我慢をすべきものだろう。野焼きで健康を害するものではなく、ダイオキシンだって当時騒がれたほどの害は全然ないことが判明しているし、たばこの副流煙となると捏造データでもってがんになると言っているだけだ。
 もっとも、喘息患者など煙に敏感に反応する方もいらっしゃる。そうした方々には個々の対応が求められようが、それはそれ、そうでない方はある程度の我慢をしてくださっても良かろうというものだ。

 こうした主張が通らなくなっている現在であり、東京オリンピックを契機に嫌煙権という権力が一段と高まりをみせるのは時代の流れとして受け止めねばならないのは分かっている。
 タバコの煙の臭いが嫌い、単にそういうことであれば、喘息患者の前ではタバコを遠慮するのと同様に、タバコを吸うのを控えねばならぬ。そうした方が増えてきているようであるから、会議や勉強会でタバコを吸うことはないし、居酒屋だって喫煙コーナーですったり、隅っこに喫煙者が集まって遠慮しつつ少ない本数しか吸わないようにしている。
 だがしかし、「タバコの副流煙を吸い込んだら、がんを発症する危険が高まるから、吸わないでくれ」というのには、少々閉口する。嫌煙権者はなんでもかんでも愛煙家を叩かねば済まない気性のようであり、「吸うのは勝手だが、煙たいから遠慮してくれ」という気遣いが全くない。

 東京オリンピック対応で、喫煙可能な場所が大幅に減らされそうだ。これでもか、これでもか、と。愛煙家はペシャンコにされてしまいそうだ。
 この世は民主主義の社会ではなかったのか。
 タバコが害になるというちゃんとした科学的根拠があるのであれば、発がん性化学物質は食品添加物としてはならないのと同様にタバコの製造を禁止すればいいのである。これで国民の健康が確保されるというものであり、愛煙家もそれを機会に禁煙に入ることができる。そうした議論を国民の間で、あるいは国会で行っていただきたいものだ。 
 ヘロインは麻薬であり、習慣性があって容易には止められず、脳の神経伝達回路を破壊し、やがて廃人にしてしまうものだから禁止されているのだが、麻薬様物質であるアルコールやニコチンはそうしたことがなく、世界的にはマリファナもこれらと同質のものとして解禁の方向にある。つまり嗜好品の扱いを受ける酒やタバコそしてマリファナであり、周りの人がとやかく言う性質のものではないのは、はっきりしていよう。
 こうしたことについて、議論を深めていただきたいのである。

 もう一つ付け加えれば、カフェインとて麻薬様物質である。コーヒーや緑茶がカフェインがゆえに嗜好品となっている面が強いのである。いや、コーヒーには、緑茶には、かくかくしかじかの体にいい物質が含まれているから、タバコと同質にしないでくれ、という主張があるだろうが、タバコだって、体、特に心の健康にとてもいいものであると小生は思っている。だから、小生は毎日タバコを吸っているのである。
 加えて、朝の一服が自己検診の非常に有効な手段となる。血液検査などの定期健診より優れた検診方法であるのは間違いなかろう。
 その昔、専売公社がコマーシャルで「今日も元気だ、たばこが旨い」とか「たばこは健康のバロメーター」とやっていたが、正にそのとおりである。タバコがまずくなったら、どこか体がおかしいということになるのであり、愛煙家にとって健康管理面で大きな力となるのである。

 未定稿ではあるが、怒りを書きなぐって本来の目的を達成したから、これまでとしておこう。

悪質な無断駐車に腹が立つ [仕事のこと]

 今朝のこと、畑へ野菜の収穫に行ったら、軽トラを置く場所に、3ナンバーの大きな車がデーンと停めてあり、置くことができない。
 やむなく他人の隣の畑に一部入れ込んで停めた。
 ここは細い田舎道で道路舗装面から90cmほどが公用地となっており、あと50cmほど畑を潰して軽トラを置けるようにしている。
 お隣の畑の方にも軽トラを置いていいよと言ってある。長さ10mほどだから、軽トラ2台でいっぱいいっぱいとなる。
 この畑の斜め向かいに単身世帯用のアパートがある。駐車場はいつも満杯に近い感がする。以前にもあったが、軽トラを置く場所にアパートの住民が車をときたま置いていた。
 そのときは畑まで食い込んでの駐車ではなく、軽トラが停めにくかったが、まあ許そう、そう思っていた。
 ところが、最近、大きな車であろう、畑にさらに50cm近く踏み込んで耕地を踏み固めてしまっている。轍が幾つか残っており、度々のことだ。
 ひょっとすると毎日かもしれない。今朝、発見したとき、頭に来た。
 そこで、農作業終了後、家に帰ってメモを作り、再び畑に行って、そのメモをワイパーで挟んでおいてやった。
 “~しないでください。”とソフトタッチで書いておいたものの、再び停めてあったら“警察に通報するぞ”と書いてやろうか。あるいは、大きな紙に注意書きして糊でベッタリ貼り付けてやろうか。
 そうでもしないことには腹の虫が落ちつかない。

どうしようもない本を買ってしまった [仕事のこと]

 経験は物を言う。数え年70歳になった小生は、まだ若輩者ではあろうが、それでも、やはり経験の重みを感じており、それが自信につながる。
 さて、ある高名な医師の食事健康法をいつか買って読もうと思っていたのだが、それが延び延びになり、やっと先日買うことができた。経験豊富なベテランの医師であり、得るものが多かろうと期待し、早速読むことにした。
 例によって、ざっと読む。200ページ弱だから1時間で読めてしまった。それも、最初から赤の蛍光ペンや赤ボールペン(これはおかしい、間違っているという印)を幾箇所も引いてしまった。いつもなら、何も書き込みしないで、2回目にじっくり読むときに、蛍光ペン3色で色分けしながら書き込むのだが、今回は違った。
 一回り読み終えて、“どうしようもない本を買ってしまったなあ。こんな本は何の役にも立たん。捨ててしまおう。”と一瞬思った。加えて、その高名な医師が著者かと思いきや、いやいや単に監修しているだけで、著者は“お抱え出版社”のように思える会社となっている。こういう手抜き法もあるのだ。初めて知った。
 まあ、その方は、本が発行されたときに76歳にはなっておられ、お忙しい方だから止むを得ないかもしれないが、ちゃんとチェックしろよ、と言いたい。もっとも、ご本人が“これは正しいのだ!”と思い込んでおられるかもしれないが。
 加えて、1つの文章は内部矛盾を起こしていて、意味が通じない。編集者2人の氏名が書かれているが、何をやってるんだ、と言いたい。
 いつもだったら、“こんなどうしようもない本は捨ててしまおう”となるのだが、ちょっと待て、である。
 先日、ある新聞で、名前は忘れてしまったが、経験豊富な文筆家が次のようなことをおっしゃっていた。
 「この世には、どうしようもない本はないが、どうしようもない読み手はいる」
 となると、小生は「どうしようもない読み手」となってしまうから、本は捨ててはならぬ、もう1回り熟読しよう、と読み始めた。そして、黄色の蛍光ペン(これは面白い、初耳だ)を幾箇所か塗った。
 経験豊富な方が監修されているから、黄色の蛍光ペンを塗った箇所は間違いなかろうと思うも、裏を取らねばと、初耳の箇所についてネット検索を重ねたが、“これは早とちりだ。ピントがずれており、間違いだ。”となってしまった。
 これじゃあ、やっぱり“どうしようもない”、弱った弱った。

このブログの趣旨=怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう [きっかけ]

 このブログを立てたのは2013年10月2日。誰しも頭に来ることがあります。でも、いつまでもそれを根に持って、イライラしたり、どこかに八つ当たりしていては、自分が損するだけです。
 怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
 詳しくは、別立てブログの下記の記事をご覧ください。

    クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう

 小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにしています。
 でも、最近は、あまり腹がたたなくなりました。これも、このブログを立ち上げたお陰か? 

今年の秋雨前線に腹がたつ [天気]

 今年の9月は11日以降、まあ雨がよう降りやがる。
 18日の神社大祭は雨にたたられたし、25~26日の北陸山中温泉1泊旅の2日目の魚釣りは雨で流れた。その後、晴天になったら平日に魚釣りに行こうとするも、そんないい日は全然やって来ない。
 百姓仕事も雨だと翌日も畑に入れず、畑起こしや畝立てができないから、延び延びになる。もう晴れるだろう、もう晴れるだろうと、いくら待てど、その気配は全くない。
 時期が来たからと、止むを得ず小雨の中で重たい土を動かし、畑を起こしたり、畝立てしたり。しかし、鍬に土がへばりついて思うに任せない。
 うんざりする9月の中下旬であった。それがまだ続く。10月になっても相変わらずで、明日4日は台風前にもかかわらず、どういうわけか丸一日晴れそうだが、その後は、元に戻るという週間予報だ。
 梅雨よりも梅雨らしい今年の秋雨前線には腹がたつ。
 で、今年の秋雨前線は、どの程度のものか、過去にあったかどうかを調べてみた。
 岐阜気象台に、1961年以降の旬別日照時間累積値が出ている。20時間未満の記録を拾ってみた。
 なお、旬の日照時間が20時間未満とは、お日様が出ている時間が1日平均2時間未満ということであり、1日丸々晴れた日があったら、残りの9日間は平均1時間未満しか日が照らないという計算となるから、梅雨時でも珍しい現象である。
  1970年 9月下旬 17.8h
  1979年 9月下旬 14.5h
  1983年 9月下旬 13.2h
  1998年 9月下旬  3.2h
  2016年 9月中旬 10.9h
           下旬 18.5h
 どうだ、これは。あったとしても、こんなに日が照らないのは10年に1回、9月下旬だけである。旬が連続したのは過去に例がないのである。
 いいかげんにさらせぇー、お天道様よ!

電車内での携帯電話自粛アナウンスにカチンときた [公共]

 4日前になるが、往きの電車内で例によって「携帯電話の使用はご遠慮ください」のアナウンスがあった。
 ところが、帰りの車内放送では「携帯電話はご使用にならないでください」であった。
 「遠慮」とは大違いの物言いである。
 これにはカチンときた。「使うなとは何事ぞ」である。
 そもそも、こんな文化があるのは日本だけだと聞く。
 たしかに列車内という居場所を変えにくい状態において、耳障りな声が周りから聞えてくるのは不愉快であり、そこにいる人に迷惑にならないように、というのは常識であり、社会道徳でもある。
 ところが、いい年こいたおばちゃん連中が大声でわーわーしゃべくり、馬鹿笑いまでしているのはおとがめなしとしていいのだろうか。よっぽどこちらのほうが質が悪い。
 「携帯電話の使用はご遠慮ください」と何度もアナウンスするのであれば、それに引き続いて「また、他人の迷惑になりますから、大きな声でしゃべくったり、高笑いなさらないでください」としっかりアナウンスしていただきたいものだ。
 小生が電車に乗ったときは、携帯電話はマナーモードにしておくが、時折電話がかかってくる。それは、女房も出かけたりしていて自宅なり店に誰もいないとき、携帯電話へ転送をかけておくからだ。
 そうした電話には出なければならない。そして、出たとしても事情を話し、簡潔に電話を切ることにしている。当然に、大きな声は出さないし、高笑いなぞ絶対にしない。
 これが周りの人にどうして迷惑になろう。
 頭にカチンと来ても、たいていはもうその日に忘れてしまうのだが、今回は2、3日前にも思い出したし、4日も経った今日も思い出した。
 嫌なことは早々に忘れたいから、こうしてキーボードを叩いたところである。
 いいかげんにせえ!
 

辟易する日本人の匿名性 [公共]

 日本人は自分を語ろうとしない。何か物を言うに当たっては、自分の名前は出さず、匿名にしたがる。
 これは、個人情報の保護が喧しくなって、よりひどくなったのではなかろうか。
 加えて、ネットでの発言はほぼ全部が匿名で、これが正しいという風潮がある。
 こうしたこともあるからであろう、小生のブログでは無料健康相談をしているのだが、相談メッセージが入ったもののメールアドレスが書いてない。これじゃあ、返事の書きようがないではないか。
 何でだろうと思って、自分のブログのメッセージ欄をクリックしてみた。そしたら、メールアドレスは必須項目になっていない。
 まあ、そうした配慮も分からぬではないが、匿名性に犯された方々はメールアドレスを入れようなどとは思わないのであろう。
 すでに数日経ったが、その方から、返事が来ないがどうなっているのか、といった再メッセージも来ない。
 やりきれない思いだ。
 ところで、最近、アメブロには困惑している。アメブロでもブログを立て、月に1本ほど真面目な記事を書いている。それにコメントが何本か付くようになった。
 いいご意見がいただけたのではないかと、早速開いてみるも、なあんだ、というコメントばかりだ。
 ろくに中身も見ず、単に自分のブログを見てほしいとのお誘いである。どうせそのブログも匿名だろう。
 ふざけるのもいいかげんにしろ!である。
 小生はどのブログにも住所氏名電話番号を入れている。自分を語り、意見コメントには自分の反証をきちんと書くようにしている。
 これが常識ではなかろうか。どこのだれだか分からない輩が無責任な記事を書いているようではネットを汚すだけである。
 正しいことを書いたがために身の危険を感じる、というご意見もあろうが、これは遠い昔から将来にわたって人間社会の常であり、それを恐れていては世の中何も変わらない。
 自分の命を賭けて訴えるしかなかろうに。それが原則だ。
 匿名で物を言うのは、もう止めにしてほしいものだ。
 
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