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8.6 笹井芳樹さんを自殺に追い込んだ日本社会 [事件]

 昨日、ネットで訃報が飛び込んできた。理化学研究所再生医療総合研究センター副センター長の笹井芳樹さん(52歳)が自殺されたというニュースだ。再生医療研究の分野で世界的な研究者であり、STAP細胞論文作成の中心人物・小保方春子研究ユニットリーダーの上司であり、その論文作成をリードし、補ったとされる。論文共著者に名を連ねる笹井さんの弁では「私が参加したのは最後の論文を書き上げる段階。生データを見る機会はなかった。」と弁明されているようだが、一方、STAP細胞の存在については「説得力ある反証は見い出せない」として、「存在は最も有力な仮説」と主張されていたようだ。
 STAP論文については、日本社会は、コピペを批判しまくり、捏造ではないかとまで言われ、徹底的に潰しにかかり、論文の取り下げまでさせてしまった。そうなれば、これは当然なことだが、小保方さんは精神的に限界まで追い詰められた。そして、共著者であり、小保方さんの上司という立場にある笹井さんも追い詰められ、副センター長の職を辞したいと言ってみえたようであるが、それもかなわず、重責に押し潰されて自ら命を断たれたのであろう。
 何ともお気の毒なことであり、これは、理化学研究所という組織に押し潰されてしまったと言えよう。理化学研究所は日本のトップレベルの自然科学研究機関であり、優秀な人材が目白押しだ。笹井さんもその一人であり、日本社会は惜しい人材を一人失ったことになる。
 自然科学の殿堂であったはずの理化学研究所は、今や、銭、銭、銭、これを全ての物差しにし、費用対効果でしか研究成果を見ない民間会社の研究所と同じレベルに成り下がっているのではなかろうか。
 真の学問(自然科学研究)は営利を追及しないで自由に気ままに行うものであり、そうであってこそ、学問は発展成長する。そうした方針に基づいて先端研究をしているのが理化学研究所ではなかったのか。
 株式会社日本国・付属研究機関・理化学研究所として、パテント料を稼いで独立採算(とまでは言わないがその方向)で研究資金を確保していこうとするようなシステムにいつ変わってしまったのか。
 笹井さんの自殺は、どうやら、このシステム変更の犠牲になったものと思われる。何とも痛ましい、というようり憤懣やるかたない強い憤りを感ずる。
 加えて、小保方さんの身が案ぜられる。彼女は、笹井さんの自殺の原因は自分にありとして、限りなく自分を責めるだろう。後追いなどとならないよう祈るばかりだ。

 さて、STAP論文で問題となったコピペと捏造であるが、まず、コピペがなぜ問題にされなければならないのか理解に苦しむ。小生も分厚い学術論文を今までに幾つか趣味的に書いた。(ただし非公表で、順次ブログ投稿している状態)。その論文は、奇抜なアイデアが頭に浮かび、それでもって新発見に至ったのだが、順序立てて理論構成し、十分に説明し尽くすには、既知の学問(他人の研究成果)の引用を多用せねばならない。つまり、コピペだらけだ。一応、出典を挙げておくが、孫引きが多く、全部を挙げるとなるとゴチャゴチャになってしまうから、意識的に出典を省略することも多い。
 なぜかというと、コピペは、単に、新たな研究成果を発表なさった方に敬意を表するだけのものであり、それに著作権があるとは到底思えないからだ。小生はそう思っている。学問、特に自然科学にあっては単に真理を発表しただけのことであって、この世に2つとない芸術作品を著作したものではない。例えていうと、アインシュタインの相対性理論は素晴らしいものであるが、この世に1つしかない芸術作品ではなくて、この世に1つしかない真理であるからして、その理論を誰がどんなふうに使っても良いのであり、いちいち“アインシュタイン殿のお書きになったあの部分をかくかくしかじか引用した”という断りは不要である。
 もっとも、学生が卒論の単位をとるために、自らは何ら研究をせずに、既存の学術論文の切り貼りだけで通そうとする輩が存在するであろうから、卒論審査に当たってはコピペはダメという基準が設けられてはいよう。卒論は勉強の一環だから、これはこれでいい。
 しかし、大学を卒業した研究者となれば、どれだけ勉強したかどうかは全く問われない。研究成果だけが重要であり、既知の学問をベース(それは当然にしてコピペであるが)にして、上積みした新発見を世に知らしめる、ただそれだけに意義がある。
 ここで、断っておくが、新発見という真理の発表だけが学術論文ではない。単なる仮説の発表であっても立派な学術論文だ。奇抜なアイデアを元にした仮説を発表し、それに興味を持った研究者が論証に成功すれば、それが真理となって、学問は大きく発展するのであるから。

 次に、データの捏造であるが、STAP論文に、もし、これがあったとしても、誰も思いつかなかった突飛もないアイデアに基づく仮説の発表(笹井さんは、そのようにおっしゃっておられたようだ)であり、これが実証されれば世紀の大発見となり、非常に価値のある研究発表として高く評価できよう。ところで、小保方さんは記者会見で「200回も実験に成功した」と言っておられたが、これは“捏造”と言う売り言葉に返した買い言葉であって、実際には成功したとしても僅かな回数であったことだろう。
 STAP論文は、その後の何かドロドロとしたわけの分からない力によって取り下げの憂き目をみたが、この論文は既に世界中に知れ渡ったのであり、新たに興味を持った研究者は、論文とはまた違った方法で実証実験をするのではなかろうか。
 さて、捏造に関して、これは本当に悪いことなのかどうかである。小生も論文(仮説)を著したとき、本筋と矛盾する枝葉末節に係わる事項については、ネグったり、一部捏造もした。そのような些細なことを一々取り上げていては仮説がいつまで経っても立てられないのである。何事にも例外はあるのであって、仮説が法則として真理となった暁には、その法則に対して、かくかくしかじかの例外があり、それはかくかくしかじかの原因による、ということが将来的に明らかになるであろうから、それはそれでいいのではなかろうか。
 もっとも、根幹に係わる主要部分に捏造があったとすると、その論文は体を成さないことになる。しかし、そうであっても科学者はそれをことさら問題にしないという。根っからの科学者を自認しておられる武田邦彦氏(中部大学)はブログで理由を示してそれを言っておられる。下記をクリックしてご覧いただけると幸いです。
 なぜ、科学者は「ウソ」を問題にしないのか?(1)小保方さんとの対話
 なぜ、科学者は「ウソ」を問題にしないのか?(2)「自然」と「新しいこと」の特徴

 ところで、根幹に係わる主要部分の大掛かりな捏造というと、CO2地球温暖化論文が有名である。今では世界中がそれを知っているとのことだが、唯一日本社会だけがそれを伏せているのである。
 それは、クライメートデート事件であるが、2009年11月に発覚した。発覚したのは、観測された過去の気温データの捏造であり、都合の悪いデータは恣意的に数値を足したり、気温低下が見られるとそれをひっくり返してプラスにしたりといった、科学者がこんなことをするのかという、とんでもない、信じられないようなことが平気で行われていたのである。
 これも、武田邦彦氏(中部大学)のブログに詳細が書かれているので、下記をクリックしてご覧いただけると幸いです。
 クライメートデート事件と専門家(1)ホッケースティック図
 クライメートデート事件と専門家(2)地球の気温そのもの
 ついに、アメリカの気温もインチキだった!

 日本社会は、今や体を成さなくなったホッケースティック図を、その昔はいざしらず、事件発覚後も金科玉条のごとく崇め奉り、やれCO2削減だ、省エネだ、そのための原発再稼動だ、と息巻いている。
 “捏造は正しい”と言わんばかりの振る舞いだ。不思議でならない日本という国。
 日本社会は、都合のいい捏造と都合の悪い捏造があるとして、捏造学術論文の位置付けを両極端に置き、一方を崇めて一方を叩くという、それも科学者が率先してこれを行い、政府・マスコミともに一体となって、それを国民に煽り立てているのである。
 どうしようもない日本社会である。これでは、若者は、ますます理工離れしてしまうし、早晩、日本という国の最大の特徴はウソで塗り固められた社会であることを知り、嫌気を感じ、気力を失い、自国に愛想を尽かすことだろう。
 世も末である。こんな社会に誰がした!
 そう叫びたいのだが、よくよく考えるに、そうしてしまったのは我が団塊世代であり、そういう小生の責任でもある。
 取りあえずは、怒りを“腹たち日記”にぶちまけたものの、冷静になって考えてみるに、自分でいかに責任を取るのか、その方法論を真面目に考えねばならない立場にいるのだが…。残念ながら、的確な処方箋がまだ書けないでいる。今のところ、“お前は何をやっているのだ!”というお叱りを甘んじて受けるしかない、お恥ずかしい状態にあります。
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